sakush0’s blog

It's in the doing that the idea comes

山脇巌設計 三岸アトリエ 木造モダニズムを見学してきました。

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竣工時の写真(山本さんに送っていただきました。)

 

 

経緯

こんにちは。大学院が始まって2ヶ月が過ぎてしまいました。大学院生活はたったの2年間なのでもうすでに1/12が終わったということになります。。

反省の多い日々、まだストイックになりきれない自分を省みる日々が続いております。頑張れ自分。

 

その大学院の授業に関連して建築を見学してきたので、今回はその建築についての記事になります。ようやく怒涛のレポートラッシュを乗り越えつつあるので(と言ってもあと4つ残っていますが笑)、やっとブログに取りかかることができます。6月には授業をサボって1週間アメリカに行くことが決まっているのでそれまでにこの建築に関する自分の現段階での考察を一旦終わらして置きたいということもあり、かつそのアメリカでも建築を見学してくるので帰国次第それらのレポートを書くということもあり、、。

 

その授業というのは建築保存設計特論というもので、最後の一回で「歴史的建造物についてA1のボードにまとめ発表する」という課題が与えられたんです。

 

どうせなら実際に建築を見学して、自分なりにその建物を理解をした上で発表したかったので、というのがこの建築との出会いでした。適当に検索をかけてパソコンとにらめっこしているところで見つけたんです。(つまりこの建築に関することは何も知りませんでした。存在も、設計者も、施主も。授業に感謝ですネ!)まさに最初に貼った画像をインターネットで発見し、バウハウスのデッサウ校舎を思わずにはいられず笑そしてこれが日本にある!しかもできた年は1934年となると、もうこれは行くしかない。と勢い半分で見学希望のメールをしてました笑

 

正直モダニズム、白い箱、沈黙系の建築は好みではないのですが、建築には顕在していない建築家のピュアな空間を思い描いた思想が垣間見えた時の面白さをファンズワース邸を介して友人が教えてくれたので、丁度タイミングがよかったというのも選んだ理由の一つでしょうかね。

 

モダニズムと呼ばれる建築は白い箱を目指しているので、本来ならしないであろう不合理な構法や構造を使うんです。それは工事が終わると見えなくなってしまうけれど(それがカッコいい!苦労が見えなくなるところが。まさに能ある鷹は爪を隠す。)、竣工中の写真や、解体の時にわかる訳ですが、そこを見えた時って楽しくないですか笑

 

というわけで前談はこの辺にしておいて、、

以下、各項目に分けて順を追って書いていくので、読みたいところだけ目次から飛んで覗いてみてください。写真だけ見れればいいやという方はFlickrから飛んでください。

 

 

建築概要

所在地 :東京都中野区

用途  :アトリエ(現在はレンタルスペース / スタジオ)

運営者 :アトカル

設計者 :山脇巌

施工会社:永田建築事務所

延床面積:38.414坪

構造  :木骨造

竣工年 :1934年(昭和9年)

 

 

設計者

山脇巌。この建築を知るまで存在すら知らなかった。学部の授業でも習わなかったし、4年のゼミでも登場しなかった。。

彼は妻の道子と二人でバウハウスに留学。これが1930年の出来事。ナチスによるバウハウス閉館により1932年、わずか2年後に帰国。建築家でありながら、写真家でもあったという。

帰ってきてすぐ、木造でこの建築設計できるものなのか。すごすぎる。向こうで国際様式を見ているとしても自分のものとしてアウトプットできるまでの期間が短かすぎて笑

しかも30年代近辺の日本といえば、日比谷公会堂銀座ライオン国会議事堂などのアール・デコ建築や洋風の建物が人気を博していたはず。なぜ施主はこの建築を依頼したのか。。気になりますねぇ。先に行きましょう。

 

 

施主

お施主さんは三岸好太郎。戦前のモダニズムを代表する洋画家で、最終的にはシュルレアリスムに行き着いたらしい。。『蝶と貝殻』シリーズが晩年の作品。若くして亡くなったのはとても残念。三岸アトリエも完成を見ずに亡くなってしまったようです。

 

設計意図

当時の写真からの考察をしてみようと思います。

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竣工時の内観写真

当時のアトリエの写真を使って、この建築が形態になるまでの経緯を探ってみようと思います。螺旋階段、家具、大きな開口部などなど、、

 

三岸の依頼時の言葉が住宅雑誌に記してあったのでここにも書いておきたいと思います。

 

「北は一面の壁で、三方全部を開け放った硝子建築

 

黒と白ばかりの部屋、そして色々な絵をかける壁のあるー色のある絵によって尚引き立って来る色のある部屋(色と明暗に関する鋭い感覚は、氏の最近の作品がはっきり物語っている。細かいペンを用いたデッサンやガッシュに現れた黒と白の使い分け、あるいは紫、赤の特殊な色の使い分け等)ー書室の壁はグレイがいい、今までの書室は白の系統が多いが、灰色の中で素晴らしい制作がしてみたい」

 

「書室には、くるくる天井にまで延びてゆくスパイラル(渦巻き)の銀色の階段ーここから絵を見下ろすのも面白い。」

 

「冬は東南の暖かい陽を浴びて、光の中で夢のような暖かい製作をする。」

 

「アトリエの前にはキラキラ陽に光る池を睡蓮の花がぽっかり浮いた池を、そして水面で曲折した陽の光が白いアトリエの天井でくねくねと踊っている」

 

 

 

螺旋階段

三岸好太郎は晩年『蝶と貝殻』という作品を残しているけど、ここに描かれている渦巻きの貝殻はヘーゲルの思想(スパイラル状の物事の捉え方)からきているそう。「物事はスパイラル状に上昇し、決して同じ場所には戻らず進化して行く」というまさに形態的に表すと螺旋型の捉え方は三岸の生き方そのものだったようなんですね。つまりこのアトリエで一番ヒエラルキーが高いのはこの螺旋階段であり、それが目立つようにこの空間があったようにも思えてきます。ここに来る人は明らかに視線をここに向けるであろうし、現に自分も見ちゃいました笑 設計者の意図ではなく、施主の意図だったんですねぇ。。

 

大空間

螺旋階段を強調するためには目立たない消える空間が必要なわけです。これを設計できたのは当時数少なかったのではないでしょうか。その一人であった山脇。設計者と施主の価値観が一致したためいいものが出来上がったのでしょうね。この大空間、平面は18尺かける18尺。つまり九間。九間とは伝統的な日本建築によく見られる平面の大きさと同じなんです。神代雄一郎さんは『九間論』という論文で、九間は日本人にとって心地の良いスケールであると言っています。これとの関連は定かではありませんが、きっと関係しているのでしょう。しかしこの九間とは違う点もあります。それは高さ。実際にメジャーを下ろして測ったところ4500mmでした。日本建築は1820mmから2275mmくらいでしょうからかなり空間認識としては変わってきますよね。

 

大きな開口部

右手に見える開口部は何故か南を向いており、強い日差しをもろに浴びます。アトリエとして使うなら長時間そこにいることを想定して落ち着く場所を作るべきだと思うんですがねぇ。。でもこれにもちゃんと理由があるんです。

あとでまた詳しく写真を載せますが、アプローチと関係してくるんですね、きっと。

また後ほど。

 

家具

手前に見えるのはCesca Chair というマルセルブロイヤーのデザインのものに激似。ミースのMRチェアに似ていたり。明らかな影響を受けていることがわかりますね。オーナーさんの話によると山脇が持って帰ってきた家具を見せて、日本の職人に似せて作らせたそう。奥の椅子もミースのバルセロナチェアに構造が似ているような感じですよね。

 

奥に小さな空間があり、そこを応接間として使っていたようですが、現在は補強のため壁が入っていて、当時ほどの開放感は失われています。現在でも広いと感じるくらいなので昔はもっと広かったんじゃないかと。。是非復原してもらいたいです!

 

ちなみに床は米松縁板張りで見事な光沢が写真からわかります。構造的に強いことはもちろん、螺旋階段、窓からの光などを反射させ、より空間の質を高めていた要素と言えそうです。木の経年変化と金属のインダストリアルな雰囲気の相性の良さが素晴らしい。

 

ここからは実際にこの建築を見ての現状と、僕が感じたことをまとめて行きたいと思います。

 

空間構成

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現在の外観
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外観

撮影した場所は少しずれていますが(ごめんなさい笑)、昔の面影はほとんどありません。。正直ショックでした笑 レンガの煙突があるし、人を引き込むエントランスはコンクリートの塊になっているし。(これは三岸好太郎の妻、三岸節子が作らせたのかな)

周囲に建物も増えたので目隠しのための大きな木も3本植えてありました。

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前庭部分

当時の姿を知っているから残念と思いながらも、現在の姿の重厚な感じは嫌いではないですね。扉も頑丈そう。当時の写真の前庭にはリュウゼツラン科の植物が植えられていたりして、遠藤新やライトを思わせるところも?!

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玄関部分

玄関部分もだいぶ変わっていました。

2011年の東北大震災で硝子部分が崩れてしまったそうです。2013年に修理して現在に至っています。通りに面した小窓はコンクリートで塞がれ、隣家に面した格子の開口は波板で補強してありました。屋根も修理されている。現在は玄関としての機能は全くなく、内側も仕上げ材が剥がれています。

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現在のエントランスの内部

三岸節子が設計を頼んだのであろう前庭部分に建った暖炉のある部屋が現在のエントランス。焦げ茶色の梁が飛んでいたり、ハーフティンバー的な雰囲気のお部屋でした。アンティークの家具が置いてありここはかなり洋風。

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当時の玄関へのアプローチ

アトリエを右手に見ながら、赤い扉へ向かう。これが三岸の思っていたアプローチなんです。というのも先ほど大きな開口部のところではぐらかしたアプローチとの関係、ここで書きます。通りに面した入り口を作らず、東から西にアプローチをわざわざ長く設計したのは設計が下手とかではありません笑 このアトリエを見せることこそが目的だったのです。しかも大きな窓があるということは実の透明性を介して螺旋階段が外からも見えるんですね。中からも象徴的な螺旋は外からも注目を浴びる存在に仕上がったわけです。。素晴らしい象徴主義。

 

ちなみに外に緑色の柱がありますね。当時の写真からは伺えない(モダニズムの思想的にもあの位置には柱は見せない)ので補強のためにつけたのでしょう。

 

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扉の色

そう、扉の色にも理由があります。それは三岸の晩年の作品の表紙の色なんです。

比べて写真撮って見ました。同じですね!節子によると好太郎はコルビュジェやオザンファンからも影響を受けているので扉だけ色を目立てせたのはそこに源流があるんでしょうか。

ちなみに、コルビュジェの設計したアトリエ・オザンファンはこちら笑

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まあ、似てますね笑

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隣のアパートメントの屋上から見る

 当時の屋根形状を示す写真はありませんが、現在は寄棟屋根がかかってます。

おそらく道から撮った写真から推測すると陸屋根か、片流れで屋根面は見えない方法をとっていたと思われます。

 

それでは実際にアトリエに入って行きましょう!

と、その前に平面図を見ておきましょう。

 

平面図 

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これは竣工当時の平面図を藤森照信さんが部屋名を追加したものです。

TOTO通信 こちらに掲載されています。

応接間からアクセスします。

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当時の様子を残す応接間

床も、ヒーターを入れるための鉄平石でできた作り付け家具もそのまま。メルヘンチックな感じになりそうでなってない?割とギリギリなラインですね笑

 

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トップライトがない!

左が1934年、右が2018年。

比較すると結構変わっていて、トップライト、はしご、通気口、ライト、窓の形状など。左の写真の右下、細長い通風口があるの見えますかね。平面図を見ると北側に室はないということがわかりますが、現在はスライドドアがあるのが写真でわかるように奥に風呂、便所、2階への階段があります。

 

アトリエ

それでは各方角からアトリエの写真をどうぞ。

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登ると2階の和室に。

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家具は当時のままだそう。あとで少し細かく見ます。

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奥には階段、右手に風呂、左手には便所。

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上の開いている扉は額縁や絵を保管する場所。当時ははしごからアクセスしていたそうだけど、いまは2階から行けるようになっています。

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明るい!本当に明るい。心地よい。

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結構劣化しています。

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階段の途中から。いろんなところで撮影できそうです。

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2階の和室から。下で資料を見ているのが山本さん。お世話になりました。

三岸はここから絵を眺めることを考えていたのかぁと思うと、その高さは三岸が思い描いていたのか。。

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保管庫から。この広さ伝わりますかね。

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なんの脈略もなくヤコブセン。アントチェア

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甥っ子さんか誰かちょっと忘れてしまいましたが、その方の作品が飾っています。

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床材は本当は松を使いたかったけれど予算がなく、ベニヤに。でも木目選びが上手で、綺麗に敷かれていました。

 

玄関

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当時のインターホン。

 

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左が外から、右が中から。壁は結構厚いから雨は入らないのかな。

コルビュジェの彫塑的な感じに見えなくもない。

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当時の帽子掛けとコート掛け。壁の仕上げはボロボロになってしまってます。

まるで自分の家の珪藻土笑 地震の影響は大きそうです。亀裂もありますね。

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この構法はなんですか。。笑

横胴縁ここまでいるんですか?わからない!

構造用合板が見当たらない。。だから胴縁を増やしている?

是非教えてください。奥の木は整形材じゃないし。

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鉄平石。黒は三岸が指定していたやつですね。

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白のタイルも見えます。

この状況ですから、有用性はないですね。

修復してほしい!!本当に原型を見てみたい。

 

アトリエから2階へ

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扉の奥に入ります。

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お風呂。もうだいぶガタがきてました。

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アトリエのお風呂側の壁。コンクリートブロック。

なぜか新聞紙。。。というかやはりこの大空間を木造ってすごい。

 

サンルーム

2階へ向かいます。

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色使いが上手だと僕は感じました。

いやらしい感じがない。アトリエと違ってモダニズムではないことを示すかのような構成。増築部分とすぐにわかります。

白と茶色のコントラストが綺麗に効いています。

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登りきったところから撮った写真。

右のブリーズソレイユ自体は格子グリッド。でも奥の半透明のガラスは3×6板。

真ん中の冊子の切り替え部分に同じ色の木で補強していたり。全く目立たないから意匠的にも構造的にも合理的な方法。

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保管庫から出たところから撮った一枚。

階段を上がるとすぐにサンルームがあります。どこにもサンルームという表記はないけれど、和室とレベル差があることや、北側の落ち着いた光を入れる水平連続窓をみると、恐らく椅子を置いてお茶でも楽しんだのかななんて思ったりします。

スタジオとして利用する人はここが結構光がいい感じに入る!と言っているそうです。

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左手に和室。奥が保管庫。

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階段のディテール。勾配はとても急笑

でも横の木材のフルーティングは綺麗だった!

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よく見ると、床厚めっちゃ薄いですね。。

 

和室

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南側を見る。左側の柱も当時はもっと細かったんだろうなと思う。

和室だけど開口部は近代建築そのもの。ここが木の建具とかならもっと日本的に見えるだろうけど、外観の見えを大事にしているので中はこの雰囲気。

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6畳間。壁が白い仕上げだからか、とても広く感じる。奥にはサンルーム。

天井!!後ほど。

 

テラス

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外にはテラスが。

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煙突。

 

お庭

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テラスから下のイングリッシュガーデン的なお庭を見ます。

毎週ここでお茶を飲みながら地域の人で集まって色々話すそう。

歴史的建築の中でそういうコミュニティが形成されているのはとてもいいことですよね。ここのオーナーさん、そういうのとても上手です!

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隣のアパートメント。

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外の柱は梁の下に入っていない?笑

一体どうなっているんだ。。

 

 

ディテール集

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天井の仕上げ材は地震で剥がれてしまったそう。中からい草(?)のような紐状のものが垂れています!!これは日本の伝統的な工法だそうで、上から固定するために吊る材料だそうです。モダニズムに隠れし日本の技。これ見れるの楽しいですねぇ笑

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さあ、一番の醍醐味。笑

天井が剥がれていたこともあり、iPhoneを突っ込むことができました。

謎の小屋組です。

もともとの小屋組に屋根改造の小屋組が混在しているのだろうけど、手前の入り組んでいる3つの材とかとても謎笑

垂木も二重?野地板が直接張られていないんです。しかも野地板は普通横材を何枚も載せるわけですが、どうも一枚板に見える。ただの材料不足か。。

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不整形材ばかり。

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まず木造で大空間を作ろうとした不合理な作為がこの小屋組に繋がっているのでしょうか。垂木も太すぎです。

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堀金物。新橋にあるアール・デコ建築のお店ですね。

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アングル材を使用した螺旋階段。使用していない穴は施工時に間違えたそうな。

施工は中で行ったらしいです。

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絵をかけるための棒。はしごがないと掛けれませんね。。

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当時の机。またいいものを見ることができました笑

どこかライト的な雰囲気を醸し出しているんですよね。。

 

 

登録有形文化財として

 2014年に登録有形文化財に登録され、20152017年にはロコモコdocomomo

に登録。日本に現存する木造モダニズムは2つ。土浦亀城邸と三岸アトリエのみ。竣工年でいうと1935年と1934年。この三岸アトリエの方が先なんです!

しかし文化財に登録されたからと言ってお金の援助が出るわけではなく、スタジオに貸し出したりカフェの稼ぎで維持費に充てているそうです。

 

leia.biz

リンクを貼っておくので是非スタジオ、写真撮影等で利用してください!

 

完全に修復するには2000万。

僕個人としては当時の状態に是非復原してほしい。しかし当時の面影がなくなってもそれはただの新築になってしまうのでいかがと思いながら。

保存と利用の問題って難しいです本当。

 

この建築を見るきっかけとなった授業は保存建築を見に行くということがメイン。目黒市庁舎と求道会館を見てきましたが、それぞれ建築の価値というのは異なり、利用のされ方も違います。

 

歴史的建造物というとモダニズムというより、擬洋風とか、洋風建築がパッとイメージされるかもしれないけれど、建築家のもがく思想を残してほしいという意味も込めてモダニズムも残してほしい。まさに建築が進化した時代ですしね。

建築マニアの方にしか通じにくいというのも難点だけど、やっぱり「すべては建築である」と思っている僕はいろんな人に知ってもらいたい。

この言い方だと僕はなんでも知っている的な感じになってしまうな笑

 

このブログを書くのだって自分の勉強のため、まだお金も自分で稼いでいないし、稼ぐためのトレーニングの真っ最中。この記事で書いてあることが間違っていると思う人がいれば是非コメントしてほしいし、教えてほしい。お願いします。

 

最後にオーナーの山本さん。

この度は本当にお世話になりました。楽しい時間を過ごさせていただきました。

ありがとうございました。

 

というわけで以上となります。

6月後半が楽しみで仕方ありません笑

またその時まで!